【受賞コラム】足りないぐらいがちょうどいい。多くを望まない生き方を教えてくれたインド旅

2020年10月に開催された「FLY from KIX特別企画『関西人の旅ノート』エッセイコンテスト with TABIPPO コンテスト」にて、【そらやん賞】を受賞したインド旅コラムです。

わたしにとって、インド旅とは?を綴ったものになります。ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

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「あれ?もしかして…わたし今インドに呼ばれてる?」

インドなんて行くもんか!そう思って、日本を出たのに……。
ある旅人からの1通のLINEが、わたしの世界観をぶっ壊した。

あの日以来、チャイを飲みながらガンジス川を眺めている夢を見る。

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出発は誕生日

2016年11月12日。わたしは10kg以上あるバックパックを背負い、初めてアジア3ヶ月の旅に出た。

この日は、わたしの誕生日。
両親に伝えた「産んでくれてありがとう、行ってきます」。

関西空港には家族や友人がお見送りに来てくれて、笑顔で出国したのに飛行機に乗った瞬間、急に孤独感に襲われ涙が止まらなかった。

わたしの旅は、ワクワクするどころかこの先の不安と恐怖心に襲われながら、1歩1歩ゆっくりと進みはじめた。

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インドに呼ばれた日

ある日タイのゲストハウスで世界一周中の女の子に出会い、お互い翌日宿を出る予定だったので連絡先を交換し「また会おうね」とお別れした。その数時間後に、一通のLINEが入った。

「一緒にインド行きませんか?」

イ、インドって!
わたしの旅ルートは、友人や知り合いを辿って偶然その国を訪れていたので、出会いと直感で次の旅路を決めてもいいじゃん!と思っていた矢先のことだった。

彼女自身もインドにひとりで行くのが不安で、わたしと一緒なら安心できる。と…いやいや、英語も話せないわたしよりかカナダに留学していたあなたの方が十分頼りになるよ!と思いながらも、その一通のLINEを見た日からわたしは突然インドに行きたくてウズウズした。

旅に出る前、インドなんて行くもんか!と思っていたのに。

この感情はまさに「インドは呼ばれしものが旅する国」。わたしはインドに呼ばれていると確信し、早々とデリー空港行きの飛行機に乗る。

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インドに降り立った瞬間

「おいおい、大丈夫かよ……」

デリー空港の外に出て宿のお迎えが待っているはずなのに!何分経ってもそれらしき人が来ない。

大きなバックパックを背負いながらキョロキョロする半泣き姿のわたしは、みんなに注目され、その視線がますます不安を増した。

(しっかり!自分のことは自分で守らんと!)

自分を励ましていると、わたしの名前が書かれたメモを持った1人の男性が、慌てて走ってきた。

ボロボロの助手席に案内され、シートベルトをすると「No,No〜!」とガチャッと外されてしまった。

あなたはワイルドスピードへの出演に憧れているのかい?と思うほど運転が荒く、電話の話し声は大きく罵っているように聞こえて「このままどこかに連れて行かれたらどうしよう」と震えが止まらず、ボーッと窓から見える夜のデリーに怯えていた。

怖い!インドに来たこと後悔するかも。
はじめてインドの世界を眺めながらわたしは思った。

翌朝、昨日は暗くて見えなかったインドの世界観・音・ニオイがわたしの五感を刺激させた。なぜだろう…すごく居心地がいい。

分からない、なにがわたしを魅了させたのかは分からない。だけど、インドはわたしの肌に合う。一瞬でそう感じた。

インドはバイクや車のクラクションが半端ないほどうるさくて、牛や犬が道路のど真ん中を歩いていて、ウンチを避けることに必死だった。

全員がわたしをぼったくろうと必死なんだろうな…と思い込んだりもしたけど、すごく人懐っこい印象を受けたし、みんなニコニコして楽しそうな人ばかりだった。

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バラナシを目指して

「インドに来たならバラナシに行くべき」

同じ宿で過ごした旅人が口を揃えてそう言った。一体どんな街なんだろう?デリーから寝台列車でバラナシへと向かうことに。

はじめての寝台列車では、お腹を壊すことが怖くて列車内で売り子が販売するものは一切食べず、数十時間の移動時間をお菓子だけで乗りきったのも思い出。

バックパックはチェーンの鍵でしっかりと固定し、枕にして横になっていると知らない間に爆睡していた。日頃、小さな悩みごとがあると眠れないわたしが、まさかインドで爆睡できるなんて……とビックリした。

インドでは宗派が分かれており、中でも大半をしめるヒンドゥー教の神様・シバの聖地と言われているバラナシ。そこに流れるガンジス川を目指して、世界中の観光客だけでなくインド各地からも人が押し寄せる街。

高野てるこ著書「ガンジス川でバタフライ」や、長渕剛作曲「ガンジス」などガンジス川を舞台にした作品は数多く存在する。それほど刺激的で、人を魅了するなにかが詰まっているのだ。

バラナシのインド人はとにかく人慣れしていて、多国語を話せる人も多くうまく巻こうとしても必ずどこかの道で出くわしてしまう。バラナシは広いようで、すごく狭い街だった。

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日本の常識はインドの非常識

日本では何か足りない……と思えばコンビニへ行ったり、ネットで注文して家に届く何不自由ない生活を送っていたがインドはそうはいかない。トイレは紙を使わず手と水で洗い流すことは有名だが、その分トイレットペーパーが高い。

露店で「もう少し安くならないの?」とまずは値段交渉から入るが、店主は堅くなに顔を横に振る。遠くまで自分で買い出しに行きお店に商品を並べることは、店主の汗水流した証でもあるのだ。

物価の安いインドで買い物をする際、物の値段は自分の言い値と言われている。値段なんてあってないようなものだから、お互いの競り合いで決まるようなもの。

安く購入できればそれはそれで嬉しい。「ぼったくられた!」と泣いている観光客を多く見かけたが、元値を知っていたからこそ多く払った金額がもったいない!と思うであろう。

だが、さっきの店主の立場になってみると彼らも必死で家族を養うために生きている。わたしはぼったくられたと嘆くよりも、彼らのためになるならば…と考えるようになった。

バラナシで過ごしていると今あるものだけ、手に入るものだけで生活することが日常で、多くを持ちすぎて生きていた日本での生活を改めて考え直すきっかけになった。

「足りないぐらいがちょうどいい」

わたしにはちょっと物足りないぐらいのバラナシの生活が、ものすごく居心地がよかった。

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インドに呼ばれた理由がバラナシにあった

ガンジス川を眺めながら、ボーッとしながらチャイを飲む。バラナシではそれ以外、何もしなかった。したくなかった。

ただ’無’になれるこの感覚が好きだった。

そう思いはじめると、インド人が絶え間なく話しかけてくる姿さえ愛くるしく思える。彼らは毎日このガンジス川を眺められるし、彼らの人生がここにあることが羨ましく思えた。

初めてこの地に降り立った時、インドに来たことを後悔するかもしれないと思った。その感情はバラナシで一変し、一生インドに来ない人生の方が後悔していたと思う。

あの日わたしはなぜインドに呼ばれたのだろう?ふと考えた時「多くを望まない生き方」を教えるためだったのかもしれない。

足りないものを補うことに目を向けるのではなく、今あるもので生きる術を身につけること。

彼らの生き方そのものが証だった。自分の目で見て、音を聞いて、肌で感じることが大切なんだと今ここに居る自分が幸せで胸がいっぱいになる。

それ以来、わたしは何度もバラナシを訪れた。
少し休みたいな……そう思うと、インド行きのチケットを購入しバラナシへ向かう。

ちょっと高価な日本食なんて目もくれず、インド人と一緒にサモサを食べたり、チャイを飲んだり、すっかりインド食にもハマっていった。

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バラナシに恋したわたし

わたしはバラナシに恋をしたのだろう。

遠い国にいる忘れられない想い人なのだろうか?ちょっぴり苦い思い出もあって、バラナシで過ごした温かい時間がずっとわたしの胸の中にある。

きっとまたバラナシに行く時も、ガンジス川を眺めながらチャイを飲んで、ボーッとクリケットをする少年たちを眺めているだろう。

そして多くを望まず生きる幸せに何度も気付かされ、心の中をリセットする。
「おかえり」と大切な人が待っててくれる家に帰り、再び旅に出る。

わたしは、何度でも恋に落ちた瞬間を感じながら生きていきたい。